2015年11月14日

自分の立ち位置(イエスと教会)

信仰者として認めてもらえるならば、その必然性が確かにありました。

遊び呆けていた学生時代に、接触のあった創価学会という世界で、

5年ほど、その教義と友達と、勤行の力や、矛盾を経験し、最終的に

結婚を機に、いや結婚のために、学会との繋がりを断ったわけですが。が

 それから、結婚と離婚、離婚調停、母の死。そして、キリスト教に求めた

救いです。

 今の自分にとっての義務は、聖書から読み取れるように、キリストの

福音を述べ伝えなさいという命令です。これが縛りでもあり、人々を救う

手段でもあり、自分にとっての喜びにも結び付いていると思います。

 ただし、自分の生き様は、矛盾と偽善に満ちていることは、明白な限りです。


christ7bouhan at 23:08コメント(0)日記 

2015年11月08日

アフリカの若き殉教者の言葉

私は行く。同行者は少なくとも、案内人は信頼できる。
私は誇り高き交わりに加わっている。
さいは投げられた。
もう後へは引けない。
私は一歩踏み出したのだ。
心は決まった。
私はイエス・キリストの弟子になるのだ。
私はもう振り向かない。
力を抜かない。
歩みを遅くしない。
後へ引かない。
じっと立ち止まることもしない。
私の過去はあがなわれた。
私の現在には意味があり、
私の未来は保障されている。
程度の低い妥協的な生き方はもうやめた。
見えるものに頼る生き方、
すべすべのひざ、
色あせた夢、
鎖のついたビジョン、
この世的な話、
安っぽい施し、
ゆがめられたゴール・・・・。
私の目は向くべきところに向いている。
私の足取りは軽い。
ゴールは天国にある。
道は狭く、険しい。
同行者は少なくとも、
案内人は信頼できる。
私の成すべき仕事は明らかである。
私はあきらめない。
黙らない。
力を抜かない。
イエスのために生き続ける。
祈りつくす。
犠牲を払い切るまでは。
私は行かなければならない、
主が来られるまで。
ささげなければならない、
倒れるまで。
伝えなければならない、
すべての人が知るまで。
働かなければならない、
主が私を止められるまで。
そして、主が来られるとき、
私を探しだすのに苦労はしないだろう。
私の旗印は明らかだから。


christ7bouhan at 07:46コメント(0)著作紹介 

2015年11月06日

キリスト教詩人 ユン・ドンジュ

序詩 1941・11・20

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを、
葉かげにそよぐ風にも

わたしは心苦しんだ。
星をうたう心で
すべて死にゆくものを愛さなくては
そして、わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵もまた、星が風に吹きさらされる。

詩集「空と風と星と詩」より


christ7bouhan at 21:31コメント(0)著作紹介 




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