2015年11月06日

生かされている?闇とキリスト

わたしは生かされている?
感謝したい
希望を持ちたい
私は キリスト者でしょうか
失格者でしょうか
くだらない野心
恋心
囚われ人
信仰者として生きたい
偽善者でもいい
現実と想いとのギャップ
絶望と死
主イエス様
キリストの内在を信じさせてください
私自身の力と、知恵と、喜びを凌駕して
あなたの力と知恵と喜びが与えられますように


christ7bouhan at 21:27コメント(0)日記 

マタイ 18:15~20 つまずいている人に (聖書の言葉)

今日の礼拝の説教テーマは「つまずいている人に忠告する。」(マタイ18:15~20)です。
 「まことに」とイエス様が告げられている言葉は、「注意して聞きなさい。」という意味で重要です。つまずいている人、たとえば教会へ来なくなった兄弟姉妹の変化に、気づいても知らんぷりしていたということがなかったでしょうか。兄弟姉妹のことなんて、どうでもよいと思っていませんか。つまずいてしまっても、自分の自尊心が、自分や兄弟姉妹の悔い改めを赦さない人が多いのです。
 「また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行ってふたりだけのところで責めなさい。」(マタイ 18:15)
 イエス様の十字架に感謝できなくなって、いわば、心が麻痺してしまったことは、神を敬わなくなったことは、大きな罪です。クリスチャンは魂に命を与えられた者です。ですから、魂にも、ご飯を食べさせてあげなければ死ぬのです。
 ところで、自分はといえば、聖書のみことばの光で、自分の信仰を照らして、見直しているのでしょうか。十字架の恩を忘れ、知らない間に傲慢になっていないだろうか。自分自身の罪が見えているのかどうか、真剣に考えてみなければならない。
 その上で、兄弟姉妹とともに再臨を迎えたときにイエス様にお会いしたい。最後の審判では、燃える炉の中に投げこまれることがないような信仰者でありたいと思うから、柔和な心で兄弟姉妹の罪について忠告してあげるのです。

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キリスト信仰、教会へ

信仰者として認めてもらえるならば、そこに至る 必然性があったことは確かです。  遊びまわっていた学生時代ですが、親友を通して 接触のあった創価学会という信仰の世界。 5年ほど身を置かせて頂きました。 その教義や友達、集い、そして勤行の力を知ったこと。 しかしまた、矛盾と限界を感じたことも事実。 最終的に学会との決別の決断は、 結婚というとても利己的な理由ではあったのですが、 口にしてはならない決定的な方法で・・、 学会との繋がりを断つことになりました。  そして、結婚と離婚がありました。 離婚調停の長い争い。 母の死・・・。キリスト教に求めた救い。キリストの福音を述べ伝えなさいという 聖書の教えは、信仰者としては義務であり、また 人々を救う手段でもあり、それは自分にとっての喜びに も結び付いています。  ただし、今の自分の生き様は、矛盾と偽善に満ちている こともまた、明確ではあるのです。

christ7bouhan at 21:07コメント(0)日記 




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  • マタイ 18:15~20 つまずいている人に (聖書の言葉)
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