2015年11月06日

マタイ 25章から (聖書の言葉)

難しいことはなにもないのです。
十字架の救いに対して、感謝と感動を持っているか。
(十字架の救いとは、イエスキリストが私たちの罪の救いの
ために、十字架に掛かってくれたこと。)
 私のような、ばかで性悪な者を、本気で愛してくれているのが
分かるから、嬉しくてしょうがないんです、と牧師。
 「すると、王は彼らに答えて言います。
「まことにおまえたちに告げます。おまえたちが、
この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、
わたしにしなかったのです。」」(マタイ25:45)
 救えるのに救わないこと。簡単なことを怠って、救いの手を
控えていること、最も小さい者にしないことは、
主イエスにしないことと同じだと言っています。
 そして、この罪は永遠の刑罰につながることだというのです。
価値のあることをしましょう。価値のないことにいつまでも
捉われていないで、本当の価値を見つけて下さい。
 私に本当の価値が見つけられるのだろうか。
しかしこれは、到達すべき最終ステップだといえる。
 その前に大切なことがあります。それは、
お従いする者になることですと牧師は教える。
お従いするとは、聖書の教えに従って生きることである。
 このこともまあ、ちょっとやそっとでできることではないの
ですが・・。
 そう考えると、永遠の命を頂くということは・・。
第一ステップで行ったり来たりしている身として、
ゴールをめざすためにも、大いなる意味を持つという他はない。



マタイ20:29~34 こころの盲を癒される方

主は、立ち止まって2人の盲いを憐れみ、彼らの目に触られた。
するとすぐさま、彼らは見えるようになった。
私たち、いや私も盲い。どうか、わたしの目が開かれるように
して下さい。
 主イエスは、福音を伝えなさいと命じられました。
私たちは、その福音を伝え、そのことによって人々を救いに導き、
そして、わたしたち自身が大きな恵みを手にすることができる。
 私たち(私)はすでに、キリストを信じることによって、
救われましたが、更に大きな輝きを得ることができる、
ということです。
 科学はどこまで真理をつかみ取ることができるでしょう。
どこまで自然の摂理を解き明かしていこうと、
その奥に立ちはだかる壁があるのです、きっと。
 しかし、主イエスの真理は、すべてを凌駕していると
思いませんか?
 先が楽しみだ。


マタイ26:57~68 人の妬みによって裁かれる神の御子キリスト

裏切りによって、ついにその時はきた。イエスは大祭司カヤパのもとに
引き出された。祭司長らと全議会は、イエスを死刑にする為に、
偽証を集めようとした。最後に呼ばれた証人がこう言う。
 「この人は、「わたしは神の神殿を壊して、
それを3日のうちに建て直せる。」と言いました。」 
 これは、主イエスが十字架につけられ、3日目に
復活する、そのことを意味しているのだが、知るべくもない。
「人間は、傲慢になると目が見えなくなってしまう。傲慢になると本当に
恐ろしい。」と牧師。
 たくさんの偽証者、大祭司らのねたみ、そねみや憎しみの中、
主イエスの言葉、 「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに
言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、
天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」
(26:64) 彼らは、イエスにつばきをかけ、殴りつけ、
また平手で打った。
 不信仰者の私は、主イエスの神のみわざに疑問を持ち、傲慢になる。
こんなに生き生きと、希望のうちに自分の力で生きているぞと。
 けれど、このまま傲慢で不信仰で、自尊心に満ち、結果がついて
来れば良いが、世の中、甘くはない。
 夢破れ、倒れた時に、誰が救ってくれるだろう。癒してくれるだろう。
過去の自分を忘れている。喉元すぎれば何とやらだ。
悪い意味で楽天家なのだ。

AAaBNCW
 






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