2015年11月

2015年11月14日

ある牧師の話 (キリストと人生)

彼女は新潟の大きな農家の長女として生を得ました。いわゆる地主として、広い農地と小作人がい

て、裕福だったそうです。「ほかの内は真っ白なご飯なんて、そんなに食べられなかったけれど、

うちはいつでも食べられたのよ。」

 兄が二人と妹がいましたが、長男は太平洋戦争で出征し、帰郷はならなかったようです。「当時

はね、優秀な長男はみんな戦争でとられてね。残ったのはろくなもんじゃない。」とよく愚痴って

おりました。父は、家長として厳格な人で、ときには優しく思いやりのある人だったそうです。

「私は、父に連れられていろんな所へ行きましたよ。妹はそういう記憶がないそうですが、わたし

は本当に父の仕事やら、付き合いやら、いろんなところを見てまわったもんです。」


christ7bouhan at 23:15コメント(0)日記 

私は何のために生きる?ラッセルの言葉

私は何のために生きるのかという本(題名は、はっきりしない)のコピーの一部を先生に頂い

たものを、最近目に通してみて、あらためて驚いたこと。
 
「神がおられると仮定しない限り、人生の目的を問うことには何の意味もない。」(バートラン

ド・ラッセル)
 
もし神がおられないとしたら、(じつは私自身そう思っているかもしれません。)私たちは皆

「偶然」、宇宙における天文学的数値の無作為による偶然の産物(あるいは統計的にある偏りか

ら発生した生命のもつ方向性によって生まれ?)ということになります。人生には目的も意味も

重要性もないのですから、この地上で過ごす短い年月の中にしか希望が見出せなくなるのです。

(一部引用しました。以下引用))

 「自分に固執していると、やがて行き詰ることになる。しかし神を仰ぎ見ていれば、開放的

で、広々とした、自由な人生が目の前に開けてくる。」

 「自己啓発(人生の目的を発見するためのステップ)は、実際のところ助けにはならない。自

己犠牲こそが、自分を発見する唯一の道であり、それがわたしの方法である。」

 すべてのもの、ありとあらゆるもの、天にあるものも地にあるものも、目に見えるものもすべ

て・・いっさいのものがキリストのうちに始まり、キリストの中にその目的を見出すのです。

(コロサイ人への手紙1・16)

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christ7bouhan at 23:11コメント(0)日記 

自分の立ち位置(イエスと教会)

信仰者として認めてもらえるならば、その必然性が確かにありました。

遊び呆けていた学生時代に、接触のあった創価学会という世界で、

5年ほど、その教義と友達と、勤行の力や、矛盾を経験し、最終的に

結婚を機に、いや結婚のために、学会との繋がりを断ったわけですが。が

 それから、結婚と離婚、離婚調停、母の死。そして、キリスト教に求めた

救いです。

 今の自分にとっての義務は、聖書から読み取れるように、キリストの

福音を述べ伝えなさいという命令です。これが縛りでもあり、人々を救う

手段でもあり、自分にとっての喜びにも結び付いていると思います。

 ただし、自分の生き様は、矛盾と偽善に満ちていることは、明白な限りです。


christ7bouhan at 23:08コメント(0)日記 

2015年11月08日

アフリカの若き殉教者の言葉

私は行く。同行者は少なくとも、案内人は信頼できる。
私は誇り高き交わりに加わっている。
さいは投げられた。
もう後へは引けない。
私は一歩踏み出したのだ。
心は決まった。
私はイエス・キリストの弟子になるのだ。
私はもう振り向かない。
力を抜かない。
歩みを遅くしない。
後へ引かない。
じっと立ち止まることもしない。
私の過去はあがなわれた。
私の現在には意味があり、
私の未来は保障されている。
程度の低い妥協的な生き方はもうやめた。
見えるものに頼る生き方、
すべすべのひざ、
色あせた夢、
鎖のついたビジョン、
この世的な話、
安っぽい施し、
ゆがめられたゴール・・・・。
私の目は向くべきところに向いている。
私の足取りは軽い。
ゴールは天国にある。
道は狭く、険しい。
同行者は少なくとも、
案内人は信頼できる。
私の成すべき仕事は明らかである。
私はあきらめない。
黙らない。
力を抜かない。
イエスのために生き続ける。
祈りつくす。
犠牲を払い切るまでは。
私は行かなければならない、
主が来られるまで。
ささげなければならない、
倒れるまで。
伝えなければならない、
すべての人が知るまで。
働かなければならない、
主が私を止められるまで。
そして、主が来られるとき、
私を探しだすのに苦労はしないだろう。
私の旗印は明らかだから。


christ7bouhan at 07:46コメント(0)著作紹介 

2015年11月06日

キリスト教詩人 ユン・ドンジュ

序詩 1941・11・20

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを、
葉かげにそよぐ風にも

わたしは心苦しんだ。
星をうたう心で
すべて死にゆくものを愛さなくては
そして、わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。
今宵もまた、星が風に吹きさらされる。

詩集「空と風と星と詩」より


christ7bouhan at 21:31コメント(0)著作紹介 




ギャラリー
  • 名言探訪4
  • 私は何のために生きる?ラッセルの言葉
  • 「福音は語られているか (金田福一)」より 八(前半部)
  • 一患者の詩 (心と神)
  • マタイ 18:15~20 つまずいている人に (聖書の言葉)
  • マタイ26:57~68 人の妬みによって裁かれる神の御子キリスト
  • 「言葉を失った証し人」より (キリスト信仰)





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