2015年11月06日
キリスト信仰、教会へ
信仰者として認めてもらえるならば、そこに至る 必然性があったことは確かです。 遊びまわっていた学生時代ですが、親友を通して 接触のあった創価学会という信仰の世界。 5年ほど身を置かせて頂きました。 その教義や友達、集い、そして勤行の力を知ったこと。 しかしまた、矛盾と限界を感じたことも事実。 最終的に学会との決別の決断は、 結婚というとても利己的な理由ではあったのですが、 口にしてはならない決定的な方法で・・、 学会との繋がりを断つことになりました。 そして、結婚と離婚がありました。 離婚調停の長い争い。 母の死・・・。キリスト教に求めた救い。キリストの福音を述べ伝えなさいという 聖書の教えは、信仰者としては義務であり、また 人々を救う手段でもあり、それは自分にとっての喜びに も結び付いています。 ただし、今の自分の生き様は、矛盾と偽善に満ちている こともまた、明確ではあるのです。