2015年11月14日
自分の立ち位置(イエスと教会)
信仰者として認めてもらえるならば、その必然性が確かにありました。
遊び呆けていた学生時代に、接触のあった創価学会という世界で、
5年ほど、その教義と友達と、勤行の力や、矛盾を経験し、最終的に
結婚を機に、いや結婚のために、学会との繋がりを断ったわけですが。が
それから、結婚と離婚、離婚調停、母の死。そして、キリスト教に求めた
救いです。
今の自分にとっての義務は、聖書から読み取れるように、キリストの
福音を述べ伝えなさいという命令です。これが縛りでもあり、人々を救う
手段でもあり、自分にとっての喜びにも結び付いていると思います。
ただし、自分の生き様は、矛盾と偽善に満ちていることは、明白な限りです。